感謝の反対は「当たり前」
「感謝」の反対は不満ではなく、「当たり前」だと感じる心持ちであると、失ってから初めて気付かされました。
こんにちは、テルツの中都です!
今日も雨が降りまして、都内は34日連続の降水を観測し、150年初になりました。
雨のせいで日本人の気持ちの15%くらいは下がっている気がするのですが…。なんとかなりませんかねえ。
さて、今日は私がお世話になっているA&PROさんのクレド(企業の価値観や行動規範を簡潔に表現した行動指針)である「周囲の人・物事すべてに感謝」について考えていきたいと思います。
感謝をすることは基本ではありますが、振り返ると意外と忘れていたと感じることも多いのではないでしょうか。
「自分のことしか考えてない」と注意されたことがある人にぜひ読んでいただきたい記事になります。
周囲の人・物事すべてに感謝
A&PROのクレドの1つ目は感謝についてです。
1.周囲の人・物事すべてに感謝
私達が社会で生きていけるのは、周りの人・物事のおかげです。相手から感謝される人は自分自身が周りに感謝している人。すべてに感謝し、豊かな人間関係を構築し、社会貢献していきます。
(引用)A&PRO「クレド」
https://apro-c.co.jp/credo/
これが1番目に来るのは、兎にも角にも感謝が大切だということだと解釈しました。
会社を新しく設立し、私もこれから頑張っていくフェーズです。
そこで改めてこのクレドについて考えてみることにしました。
仕事をもらえることが「当たり前」になっていた
私は2年間の会社員経験を経て、個人事業主として独立をしました。
当時の私は、顧客が最初からいる状態でもなければ、安定した収入基盤があったわけでもありません。
ただ、当時のTwitterで独立することをツイートしたところ、知り合いの広告代理店の社長にある種拾っていただく形でお仕事をいただいておりました。
毎月会社員でいただく分くらいの報酬を安定的にいただき、その収入の支えで新たな挑戦をし続けることができました。

当時も今でももちろん感謝をしていますが、どうしても仕事がある状態をいつしか「当たり前」に思うようになってしまったのです。一時は感謝が薄れ、態度に出てしまい指摘を受けてしまったこともありました。
その後円満に契約は終了しました(前述の指摘は関係なくです)が、安定した収入がなくなって初めてその状態がありがたいことだったと身に染みて痛感したのです。
「感謝」の反対は不満ではなく、「当たり前」だと感じる心持ちであると、失ってから初めて気付かされました。
感謝は物事にも
「周囲の人・物事すべてに感謝」とは、かなり対象が広いな・・・と初見の頃(当時大学生)は思っていましたが、ここ数ヶ月当たり前を失うことによって、あらゆるものが感謝の対象であると私も理解できてきました。
最近PCに洗剤をこぼしてしまい、1週間くらい使えない時期がありまして、そのときPCに「今まで当たり前だと思ってゴメン、洗剤こぼしてゴメン。お前がいないと仕事ができないよ」と嘆きました。

風邪で喉を痛めたときに健康であることに感謝するのと同様、あまりにPCがあることが当たり前すぎて、PCを失ったときにその偉大さがわかるものです。
そう考えると私たちは本当はすべてに感謝できるのかなと思います。
「当たり前」を感謝が薄れているシグナルにする
これらのエピソードから私は重要な示唆を得られます。
それが「当たり前だと思っているときほど感謝を忘れている」という相関関係です。
あらゆる人・物事に感謝をするということは、日々の当たり前にも気づいて感謝をできるということなのではないでしょうか。
前述のエピソードを通じて、真に感謝するには相当の想像力があるか、それを失って実感するかだと思っています。当然前者はすぐに身に付くものでもないですし、後者はまず失うとかいう本末転倒なことになります。
そこで私は「まずは当たり前に気づき、感謝が薄れていなかったか確認すること」を提案します。
そしてもし感謝が足りていなければ感謝を、できる範囲ですればいいのではないでしょうか。
- 近くで支えてくれている家族
- ずっと声をかけてくれる友人
- いつも使っている道具
- 大量に振ってくる仕事
それらは当たり前になっていないですか?
当たり前だと思い込んでいたら、それは感謝が薄れている合図かもしれません。
私も今まで以上に気をつけたいです。
執筆時間0:55 NoAI
